○○の秋
秋は何となくもの悲しい季節だが、気候的には暑くもなく寒さで震えることもなく、台風さえ来なければとても過ごしやすいシーズンだ。ちまたでは「スポーツの秋」「文化の秋」「読書の秋」などと、高尚な秋を楽しむ人たちが多い中、例年「食欲の秋」ばかりに目を向けていた私。口の悪い友人からは「あんたの食欲は秋に限ったものではないだろう」とののしられても、どこ吹く風と聞き流していたが、いつまでも“年がら年中食いしん坊”という烙印を押されっぱなしではいけない。
しかし、三日坊主で怠け者の私にいったい何ができるだろう。今年の始めに入会したスポーツジムにも、どうにか週に1~2回は行かねばと我が尻を叩いてはいるが、“今日は仕事で疲れたから”とか“週始めから飛ばしていると、週末までもたないから”などといい加減な理由をつけ、サボりがちなのだから、「スポーツの秋」はまず無理だろう。以前は大好きだった読書も、“細かい文字は疲れる”“仕事で書類を読んでいるだけで精一杯だ~”とへこたれてしまい、新聞さえタイトルを読む程度だもの、これまた候補から外れてしまう。
“読む”といえば、これまた情けないことに、自分の書いた文字が汚くて「あれ?これって何だろう」「これは“7”だろうか?それとも“9”?」と首を傾げることが多々ある。昔からの友人にこぼしたら「昔はよく、手紙の交換をしたじゃない?そのときの文字は読みやすかったよ」と慰めてくれた。そうか…、今はもっぱらパソコンばかりに頼っていて、自筆でモノを書くことも無くなったせいかもしれない。長い間、右手の指にできていた“ペンだこ”も薄れてきているし、簡単な漢字もさっと出てこない(これは脳が退化しているから…?)。
ありがとうございます
ところで先日、ライブハウスに行ってきた。学生時代には知り合いのバンドマンから誘われて、何度か新宿や渋谷でのステージを見に行ったことがあるが、その後、社会人になってからはさっぱり縁がなかった。もしや若いギャル(そんな言い方も古くさいかも)ばかりのアウェイ空間で、浮いてしまうのではないかと内心ドキドキしながら、地下への階段を降りた。
友人のアユミ嬢から紹介された某バンドは、3人とも非常に礼儀正しく、ステージ上では高度な演奏やパワフルで個性あふれる歌を披露しつつも、楽器を置いてフロアに出てきた時には「今日は来ていただき、ありがとうございます」とさわやかな笑顔で観客に挨拶をしている。
一緒にごはんを食べに行っても、率先して取り分けてくれたり、飲み物は足りているかどうか常にさりげなく気を配ってくれるし、もちろん、帰り際には「とても美味しかったです。ごちそうさまでした」と深々と頭を下げ、翌日には再度お礼のメールも忘れない。“そんなの当然だよ”と思う人もいるだろうが、いやいや、それがなかなかできない若者もいる。若者だけでなく、いい歳をしたおっさん・おばさんでさえも、「あんたのボキャブラリーの中には、謝辞や詫びのことばは無いのか?」と問いたくなる相手もいるのである。
だからこそ、“ええ子たちやなあ。こりゃあきっと人気も出るで!”と、目を細めてしまう。もちろん楽曲も素晴らしいし、常に研鑽努力をしている様子もうかがえるから、余計なお世話だが、彼らが夢を叶えるのを陰ながら応援したくもなるってもんだ。
振り返ってみると、私もいろんな人にお世話になったり、支えてもらったりしてきたんだなあ。気づかぬところでそっと、手を貸してくれていた粋な先輩や友人もいたっけ。もちろん、現在も…であるが。そういう有り難い人たちに、きちんと「ありがとうございます」と感謝のことばを伝えられているだろうか。腹にずんずんと響く演奏を聴きつつ、大事なことに気づかされた秋の夜である。
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渡良瀬通信2014年10月号より