5月26日、正午に足利初のラジオ局が発信された。だものくんの可愛らしい子ども声のあとカウントダウンが、そして宇宙戦艦ヤマトのメロディで華々しく開局。バースディソングが流れるなか、未来につながるラジオ局としての新しいスタートを切った。
東日本大震災の停電の夜、テレビが見られなくなり頼りになったメティアはラジオと新聞だった。そして、能登半島地震でも、ラジオが真の情報発信に大きな役割を担った。一方、なかなか寝付かれない深夜にラジオを着けると、話し声が聴こえまだ起きている人に安心し、眠れることもある。
ラジオの楽しみ方は、人それぞれ。深夜放送を聴きながらの受験勉強は青春時代の思い出として誰もがあると思う。今は、山歩きをする際に、熊が近づかないようにラジオの音量を上げたり、渡良瀬川を散策の時に携帯し涼風に吹かれながら楽しんでいる。ラシオは、ながら族にはぴったりのアイテムだ。
地域コミュニティの一翼を担うDAMONO局の情報発信に、これからも期待したい。
(読者投稿:タッチ)