OB・OGの声と、今後の足利高校のゆくえ
足利高校と足利女子高校が統合されて発足した新・足利高校。開校して3年目の今秋、いよいよ新校舎が完成する。新星・足利高校について、匿名を条件にOB、OGの本音を拾った。
お互い〝向こう〟に吸収された!?
足女のOGであるAさんは統合前の話し合いの中で「足女同窓会・八千草会内部で足高に“吸収合併”されるのではないかという空気がありました」と話す。新高校の校名をどうするか。共学化する以上、「足利女子高校」の名前は残せない。「足利○○高校にしようなんて話もあったようです。でも、完全に新設校みたいになってしまう。やっぱり、伝統校という色を残すのなら足利高校かなと」とAさんは校名決定の裏側をあかしてくれた。さながら、結婚で名字が変わる女性の複雑な心境のようだ。
「いや、吸収合併は旧・足高の方ですよ。足高は足女に吸収合併された子会社って感じでしたね」。こう反論するのは新高校になってから教育実習に参加した足高OBのBさんだ。
「教育実習で新高校をのぞいて、〝足女色〟に染まってしまった印象を受けました。女子が入ったことで、先生たちも男子生徒も、ものすごく(女子に)気を遣っている感じですかね。良くも悪くも適当で自由な足高の校風ではなくなった気がします」と母校の変化を感じとった。「実習中、肩身狭そうに座っている男子を見てちょっと切なくなりましたね」とBさんは話す。
お互いが「(向こうに)吸収された」という認識を持っているのは、両校の卒業生の母校愛が強いからこそだ。歴史と伝統のある別学校の統合の難しさでもある。
統合されてレベルアップ!
「共学化したことで、高校自体のレベルが上がりましたね」。こう話してくれたのは足高OBのCさんだ。「当時の僕が今の足高を受けたら受からないなと思うくらい、倍率も高くなったし、レベルも上がっています」
実際、過去11年間の旧・足高、足女、新・足高の高校入試での倍率を調べてみると、特に旧・足高は平成末頃は定員割れを起こす年もあり、生徒募集に苦戦していたことがうかがえる。
足女も旧・足高ほど深刻ではないが平成末頃までは停滞期が続く。令和に入り統合が近づくにつれて、人気が上がっていったことが分かる。特に足女としての募集最後の年、令和3年度入試では1.39倍まで膨れ上がった。新・足利高校に入ってからはこの3年、右肩上がりに倍率は上昇している。
開倫塾で教務部長を務める岡部正之さんは「最近の子どもたちは昔に比べて、共学校に行きたがりますね」と旧・足高、足女の倍率が低迷した理由は子どもたちの志向が変化したこともあると指摘する。「今の足高ができる前の話ですが、佐女が佐野東高として共学化したんです。この時、足利市内の中学生も結構志望校にする子が増えましたね」(岡部さん)。佐女の頃から比べると共学化して倍率もかなり上がったそうだ。
新・足高人気は偏差値にも表れている。中学3年生が受験する下野模試の基準偏差値も「(旧・足高は)54くらいだった偏差値が58くらいまでに上がっています。受験生には58以上取っていないと安心して受験できない」と岡部さんはアドバイスしているそうだ。
統合されて3年目。大学進学の実績にも変化が見えてきたとCさん。「国公立大学の合格者が100人を超えたなんて、僕らの時代にはなかったですもん」。旧・足高の国公立大学の合格者を過去3年さかのぼってみると、平成31年度 87人、令和2年度 84人、令和3年度 92人といった具合だ。
「でも、新星・足利高校の実力が分かるのは今年の3年生が卒業してからです」と開倫塾の岡部さんは補足する。今年の高校3年生が新・高校の入試になってからの一期生。「その結果は高校にとっても重要でしょうね」。
統合で失われたもの
統合したことにより得たものもあるが、失われたものもある。その一つといえるのが、1985年から始まった足高・太高の「対抗戦」だ。「高高と前高のような定期戦をやりたい」と当時の太田高校の校長の提案で1985年に第1回が開催され
開倫塾 足利東校の生徒に聞く足利高校のイメージ
マイチャレンジという体験で足高に行ったんですけど、きれいでびっくりしました。
校舎が新しいと高校生活の中でいろいろなことができるなと思う。
体育館もきれいで広くて、ここでバレーしてみたいと思った。
倍率が高くなって、偏差値も上がると思う。
栃高と足高は差があったけど、新校舎ができたり、共学になったりして、レベルが上がって、足高がいいという子も出てくるんじゃないかと思う。
共学になったり、校舎が新しくなったりして、群馬県からも人が集まるような学校になった。
だからレベルの高い高校かなというイメージ。
今もそのまま「女子高校前」の交差点名称標識だけど、いつ変わるのかなぁ