サイクルスポーツマネージメント株式会社 代表取締役社長
柿沼 章さん
弊誌では以前、自転車ロードレーサーとして活躍されていた柿沼さんにインタビューをさせていただいた。あれから20年。昨年秋、足利市は柿沼さんが代表取締役社長を務める『宇都宮ブリッツェン(サイクルスポーツマネージメント株式会社)』と包括連携協定を締結。サイクルスポーツ及び自転車を通じた地域の活性化事業に取り組むこととなった。そこで再び、柿沼さんにお話を伺った。
自転車ロードレースをメジャースポーツに
以前のインタビューから会社設立に至るまでの流れを教えてください
当時は、競技者として頑張って、チャンピオンになったとしても、メジャーなスポーツではない自転車ロードレーサーは日の目を見られなかったのです。この辺りのジレンマを感じていました。
メジャーなスポーツにしたいと考えると、走ってばかりもいられない。外への発信も必要です。そこで理想となるフォーマットを作ろう!となり、今があります。
この会社の発起人である廣瀬(同社 代表取締役副社長)は、当時シマノというチームにいて、オランダでも活動していました。選手としては大成していましたが、日本に帰ってくると「あれっ」となる。その彼が、チームを作りたいと言い出したのが、ブリッツェンを作る10年くらい前で、少しずつ私も側面支援をしていました。廣瀬が宇都宮に帰ってくる度に、簡単な企画書を知り合いに置いて回っており、それをたまたま手に取ったのが、故砂川幹男前社長だったのです。「面白い奴がいるな」と会っていただき「じゃあやるか!」となり、そこに私も引き込まれました。この動きが本格化したのが2008年、同年10月『サイクルスポーツマネージメント株式会社』を設立。ちょうどリーマンショックの年で、ここから走り出したのです。その後2014年4月に代表取締役社長に就任しました。
自転車を使ったまちづくりで成功する
昨年11月、足利市と包括連携協定を締結した背景をお聞かせください
現在、競技だけでなく、広い意味で『自転車』というものが世の中に認められてきました。我々が会社を立ち上げた中で、2回の法改正がありました。自転車は車でもなければ歩行者でも無い、グレーな存在だったものが、10年ほど前、道路交通法の改正で「自転車は車両」となりました。車両としてブルーレーンができたりインフラ整備がどこでも進み出しました(ハード面)。もう一つは、4年くらい前に「自転車活用推進法」の改正がありました(ソフト面)。「まちづくりなどに自転車を使っていきましょう!」となったのです。ハード面ソフト面で、自転車を使うという気運が高まってきました。あちこちで成功例が出てくると、自分のところでもやってみようという、流れが出てくるのです。それは世界的なものでもあり、特にノルウェーやデンマーク、ドイツ、オランダが、自転車を使ったまちづくりが成功している事例として挙げられます。
国土が狭いヨーロッパでは、あちこちで大渋滞が起きています。それを解消するために自転車レーンをつくったのです。自転車に乗った方がいいと思わせる国の施策もありました。自転車の購入金を補助したり、交通手段を車から自転車に変えた時のメリットを個人レベルで示しました。
日本での成功事例は
着地型観光と言われ、自転車で人を呼び込めるという実績も出てきています。例えば「しまなみ海道」とか茨城の土浦、霞ヶ浦とか、筑波山周辺などは、かなり成功しています。元々筑波鉄道だったところを、「つくば霞ヶ浦りんりんロード」という自転車レーンにしたのです。そこが凄くいいロケーションで、商業施設もできるわけです。土浦駅の中には自転車を持ち込める施設があり、昔からのお店にも、地元の皆さんにもウエルカムで迎えられ人気となっています。
地場の特徴を活かし市民に愛される取り組み
足利市ではどのような取り組みになりますか
栃木県では、栃木・鹿沼・芳賀・市貝・小山・佐野の6市とすでに包括連携協定を結んでいますので、足利は7市目になります。
私が市長から伺ったときは、市役所の中にもやってみようという動きはあったようですが、どう動いたらよいのか、私たちにアドバイスを求めていただきました。後発ですが、山や川の地形を活かし、足利市らしい特徴のある取り組みにしよう!となりました。
自主的に自転車レーンをつくっても、使われないレーンでは意味がない。せっかくつくるならば、そのまちにマッチしたものにしたい。市民に愛される、自転車業界の人から見ても、「わかっているな足利は!」と思われるものにしよう。形だけで終わらせない。そのために市長と何度も話をしています。
柿沼さんたちのアドバイスに対するこれまでの足利市の反応は?
理解していただけていると思います。職員の方の中にも、自転車に乗っている人もいて、自転車をわかってくださっていますから。
まちの中に目を向けますと、日常的に一番自転車に乗っているのに、そこで起きている走りにくさや、意見を伝えるすべを知らないのが学生さんです。自転車を使う人のためになるものを提案したいですね。
自転車って、普通に乗っていてもちょっとハッピーになったり、幸せを感じられるものだと思うのです。乗り手にとっても、一発のイベントではなく、小さな工夫が随所にあれば、通年喜んでもらえるわけです。バイクラックだって、建物をつくることに比べたら、大してかかりませんし、自転車のサインを貼るだけでも、自転車乗りを意識してくれていると実感できるわけです。自転車の取り組みは、そんなに予算が掛からないのです。あるものでできる、道が基本ですし、地元への負担は小さくて、効果が上がりやすいのです。
サイクルスポーツの分野は、ますます必要とされそうですね
サイクルイベントの事業では、行政や企業側からも色々なリクエストがあります。言われるままにやるのではなく、クオリティーを上げるために自分たちのいる意味があると思うので、その部分を担っていきたいです。行政や企業が整備したハードをより活かすために、使ってもらえる存在価値のある会社になろうとしています。昨年4月、栃木市にできた『わたらせサイクルパーク』の運営も受託させてもらっています。セミナーやアマチュアのレースや体験会などをやっています。交通にさらされずに安全にできるので使い勝手がいいのです。これは一つの事例ですが、たとえハードがなくても参加者さんが喜んでくれることが一番なのでそこに向けて頑張っています。
最後に一つ。20年前のインタビューで仰っていたのが「今後もプロのロードレーサーとして走り続けること。もう一つの夢は、自転車の走りやすいまちづくりです。」でした。まさに今、柿沼さんが行っていることですね。
びっくりしました。僕、そんなことを20年前に言っていたのですね。
夢の実現は近いようですね。本日はありがとうございました。
●インタビュー/松尾幸子 ●写真/浦島大介
渡良瀬通信2023年2月号掲載
Profile
■柿沼 章
かきぬま・あきら/1972年、足利市生まれ。高校卒業後、プロロード選手となる。「ブリジストンサイクルレーシング(’91~’95)」「日本鋪道レーシング(’96)」「ヴェロクラブ・ルガーノ(’96)」「YCST(’97~’00)」「チームミヤタ(’05~’07)」「ブリジストン・アンカー(’08)」などに在籍。1997年・2001年、全日本個人タイムトライアル選手権で優勝。
2009年「宇都宮ブリッツェン」選手兼監督として移籍。2010年選手兼コーチとなる。2011年10月ジャパンカップ出走を最後に選手を引退。2014年4月にサイクルスポーツマネージメント株式会社の代表取締役社長に就任。