トップカテゴリーを目指す「全員バレー」。女子バレー「群馬グリーンウイングス」齋藤真由美監督
バレーボールVリーグ女子2部(V2)の群馬銀行グリーンウイングスは今シーズンから、チーム名を新たに「群馬グリーンウイングス」として実業団からプロクラブへ転換を図りリーグを戦っている。指揮を執るのは往年の人気選手だった齋藤真由美監督だ。来季からの新リーグ構想に向けた思いとは。(文・写真 松本純明)
「S-Vリーグ」参入に向けクラブ体制強化。来季からトップカテゴリー入りも。
現行のVリーグは来季から再編され「S-Vリーグ」が新設される。これは各チームがクラブとしての事業や組織面の強化を進めつつ、世界最高峰のリーグを目指すのが目的だ。これにあたり同チームは運営を群馬銀行から一般社団法人グリーンウイングスGUNMAに移管、プロスポーツクラブとしての新たな挑戦が始まった。参入の要件としては2026年までに売上高6億円以上、5000人収容のホームアリーナ確保などがあるが、同クラブではすでに加盟申請を済ませており経営基盤の充実を図っている。参入が認められれば、V1・V2の壁を乗り越えいきなりトップカテゴリーに入り、群馬県内でも全日本クラスの選手を交えたチームとのハイレベルな試合が行われるようになる。
今後は選手のプロ契約、ジュニアチーム(U15)の新設、ファンクラブの発足などのほか、地域に開かれたクラブとして健康増進、女性活躍推進、スポーツ振興などの地域貢献活動も積極化しそうだ。
一貫して掲げる「全員バレー」でチームを育てつつトップカテゴリーへ挑む
新生グリーンウイングスの指揮を執るのは就任2年目、元全日本選手でワールドカップなどでもエースとして活躍、そのルックスとプレーで人気を博した齋藤真由美監督だ。就任以来、一貫して掲げるのは「全員バレー」。それはレギュラーを固定せず、対戦相手や選手の状態に合わせて柔軟に全選手を起用するスタイルだ。選手たちは相手の分析はもちろん、いつどんな時に起用されても対応できるよう、チームメイトの調子やクセ、メンタルまでも把握することも要求される。「自分の現役時代は絶対的エースがいてメンバー固定が当たり前の時代。でも、そのエースがいなくなったらチーム力は激減してしまう。誰がいなくなっても補い合えるチーム力が大切」とその意図を話す。結果として選手間には競争意識が芽生え、「チームや仲間のために自分ができることは何か?」と、それぞれの役割を果たす一体感も生まれた。チームは2018年のV2昇格後、昨年までに優勝2回、準優勝2回の強豪として成長してきたが、V1との入れ替え戦では4年連続で敗れ昇格はなっていない。しかし、今季は入れ替え戦はなく、S-Vリーグに参入した場合は現在のV1チームとも同じカテゴリーで戦う可能性もある。「レベルが上がるのでとても大変。なにより勝ち続けるられるチーム力をつけることが大切。だからこそ今は勝つことも大切だがミスをしても大丈夫な環境で挑戦させ育てることも重要」と語る。
現役時代に伝えられなかった思いを「18人の娘たち」へ
10代でスター選手になりながら、事故による大ケガで長期離脱、そして見事な復活劇、チームの廃部など波乱万丈のバレー人生を歩んできた。18人の娘ともいえる選手たちにはさまざまな経験からの思いを伝えている。プロ化について、「がんばった分だけ評価され、自分も輝いて、人にあこがられる職業ってなかなかない。大変だけどやりがいを感じてほしい」と話す。また、現役時には怒りやスパルタで選手を支配する指導法とも戦ってきた。「怒ると叱るは全然違う。許していいミスと許されないミスはあるので消極的なミスにはきっちり叱る。選手たちもいつか母親になる。女性としてもアスリートしても手本になる人になってほしいから」。そして、言葉が持つ力の大切さも。「言葉で傷つけられたこともあるし、言葉に救われたこともある。選手には自分がチームに必要で大切にされていると感じてもらえるような言葉を使っている。その方がモチベーションが上がる」と話し、「仲間と思いあって支えあって助け合って、地域に愛されるチームづくりをしていきたい」と現役時代と変わらぬさわやかな笑顔が輝いた。
PROFILE
齋藤真由美(さいとう・まゆみ)
1971年生まれ、東京都出身。
中1からバレーボールを始め、名門の中村高1年時にインターハイ3位入賞。1986年、高校を中退し、イトーヨーカドーに入団。1990年日本リーグで優勝し、最高殊勲選手とベスト6を受賞、その後、交通事故によるケガで6年半離脱、1997年、ダイエーオレンジアタッカーズに移籍しVプレミアリーグ連覇。最高殊勲選手、ベスト6を受賞。1999年、東北パイオニア(後のパイオニアレッドウィングス)に移籍。2000年、V1リーグ優勝に貢献、2004年、現役を引退。日本代表としては、1989年ワールドカップ(4位入賞/敢闘賞)、1990年世界選手権、1991年ワールドカップに出場。現役時代の愛称は「マッチョ」。