地域FMの電波に乗せて『足利100年カルタ』制作秘話を語る
11月19日、FM DAMONOの火曜日夕方の生放送番組『ゆうやけ!だもの!』に、白鷗大学地域メディア実践ゼミの下村健一特任教授(元TBSアナウンサー)と4年生3名が出演。タブロイド紙『minimu』に連載している『足利100年カルタ』を中心に、地域メディア実践ゼミでの活動について語った。
同カルタは、2021年の足利市制施行100周年にちなみ同ゼミ生により企画され、取材・デザインを学生が一貫して担当している。
地域メディア実践ゼミを率いる下村教授、ゼミ長のラジオネーム『ちぃ』、足利出身『つよぽん』、ペンとギターの二刀流『ミスター』。スタートはこの4人に、FM DAMONOのエース・パーソナリティ根岸智也さん(以下:根岸)から質問。
この100年カルタを考えたのは下村教授ですか?
当時の学生たちで、100年間のことをどんな風に伝えようかとなり、あいうえお順にやろう!ではカルタで!と、全て学生が考えました。初代の連載媒体がなくなり、孤児になったとき「助けて~」と渡良瀬通信にカルタの連載の話を持ち込んだのも学生です。全て学生が主体で動いています。
では、その学生さんに質問です。このゼミに入ったきっかけは?
栃木県のことを自分が知らないと気づいたことがきっかけです。栃木県に住んで22年になるのに何も知らないってもったいないと思って。栃木の魅力を知って、それを発信できるゼミがあることを知りました。ゼミに入ると社会人の経験として、多くの方と関われるきっかけをもらえました。
ゼミ見学に行ったときの、ゼミの雰囲気が抜群に良くて。学生同士や何より教授と学生の距離感が近くて、このゼミなら自分もやっていけるかなと思いました。足利市出身なんですが地元のことを全然知らなくて、自分が担当した記事やその他も、知らないことばかりでした。元々は足利に興味もなかったし、でもこの企画を通して、足利って魅力的なところだと思えるようになりました。
地元の魅力を再発見できたということですね。
市民であるつよぽんが、足元のことを知らなかったというのは、すごく象徴的なことで、知ることができて本当によかった。
カルタを読んだ読者も「これは知らなかった」ということ多いんじゃないですか。
はい、そんな声をよくいただきます。
僕がこのゼミに入った理由は、文章を書くことが好きだからでした。このゼミではminimuで『足利100年カルタ』、下野新聞で『栃木いいね散歩』、Web記事のおやまアサッテ広場『未来発』と3媒体を通して、自分たちの取材で栃木県中に情報発信をできることが魅力でした。
栃木県の過去を描くのが『足利100年カルタ』、今を描くのが『栃木いいね散歩』、未来を描くのが『おやまアサッテ広場』となっており、三刀流ですね!
さて次は、カルタの取材をしてきた中で一番楽しかったもの、思い出に残っている言葉は?
直近の取材の「る」です。『ルラス』というニラ会社の桑鶴さんとは、取材以外でも仲良くさせていただき、桑鶴さんも参加した、今年の足利花火大会の前夜祭にボランティアとして呼んでもらいました。そこでは足利市民の多くの方と関わりを持つことができ、お祭りの後も頑張ったね、お礼に!といって、色々な食べものを振舞ってもらいました。楽しかったですね。
自分が印象に残っているのは、「へ」の回で『ギャラリー碧』を取材したときです。そのとき、足利市には美術館やギャラリーが15あることを知りました。これは宇都宮よりも多い数です。足利市は美術に昔から関わりが多いという、一面を見ることができました。また、普段は話を聞くことができない、キャラリーのオーナーや個展を開いていたアーティストにも取材ができました。アーティストの方の鋭い言葉や、感性の豊かなところを聞くことができ、とても楽しかったです。
芋ようかんの舟定さんが印象に残っています。明治時代から続く製法や味を変えずに守り続けている様子。お客様とのエピソードでは、便秘がちの赤ちゃんに離乳食として食べさていたり、足利の市民が食べ物で繋がっていけるところが凄いと感じました。
足利は個人商店が多いですからね。そういったところでは温かみが生まれますよね。
足利で100年カルタを始めるとなったとき、土地柄から神社仏閣ばかりになるのではと、危惧していました。しかし「あ」から順番に作るという縛りがある中で、学生たちは思いがけないものを発掘してくれるので、私も、あっ面白い!と毎回学生の提案を楽しみに待っています。
では、逆にこのネタは難しかった~というものはありましたか?
難しいというと、足利は歴史が長いので、歴史の話に偏りすぎると漢字が多くなり、それに慣れていない子どもや学生がみると、そこだけで嫌悪感を持たれてしまいます。なので私たち学生が作っているので、写真などを使って明るさを出しつつ伝えられたらと思っています。毎回写真には苦労していますが…。
カルタには昔の写真も掲載していますよね。その写真も市民の方から提供していただいたものなのでは?集めるのも大変でしょ。
はいー!
はいー!
はいー!
皆さんが今撮影している写真も、何百年後には貴重な足利の資料になっているかもしれません。さて、minimu12月号で「る」まで掲載されたということですが、その後は?
では私から。1月号は「れ」蓮岱館です。2月号が「ろ」ロケ地巡りです。足利はロケいっぱいやってますからね。で、ラストを飾るのが3月号「わ」渡良瀬橋です。
これ本当に綺麗に落ち着きましたね~渡良瀬橋。
実は先週、渡良瀬橋の「わ」担当学生が、東京の森高千里さんの事務所まで行って、インタビューをとってきました。本当にいい話なんですよ!これを掲載いたします。
カルタのスタート「あ」足利裁縫女学校は、実は白鴎大学の発祥となった学校なんです。学生が取材した当初、いくら調べても場所の特定ができなくて、文章の最後に「情報をお知らせください」と掲載したところ、読者の方から発祥地の情報が届き、場所が特定できた!という後日談があるのです。
読者の方に教えていただいたわけですね。この後のカルタ「わ」まで楽しみにしています。
では、ここで音楽を森高千里『渡良瀬橋』です。
わぁーー
わぁーー
わぁーー