開いててよかった!
部活の帰りだった。買うあてもなく、あの一声をあげたいがためにドアを引く—「開いててよかった!」。セブンイレブンが足利に初めてできた日がなつかしい。
CM(当時)の影響でみんながそうやって店に入る。それがあたりまえになって、“開いている”(深夜営業)だけではお客が満足することはなくなった。するとこんどは、駅前に街中にと開店ラッシュがつづき、“どこにでも”という付加価値がつく。しかしそれすら物足りなくなると、会社はようやく商品サービスの向上をめざし他社との差別化を図る。つまり本質的なコンビニ戦争というのは、おもわれているほど昔からではない。
その王者のセブンに暗雲が迫っている。親会社がカナダの企業から買収提案を持ち出されたらしい。「えっ、買収する側ではなく!?」、そうおもったひとはわたしだけだろうか。日本の保険会社によるゴッホの「ひまわり」の高額落札が記憶にあたらしい、無双のジャパンマネー、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代を遠巻きながら体感していた人間からすると、今回の買収騒動は、もはや大国でも先進国でもない日本の現実にあらためて目覚めさせられる機会となった。
だからこそ、日本もセブンもまだイケイケだった時代に「〽友達になろう」と伊藤咲子にうたわせ、そのレコードをオマケにしてしまえたのだろう。全国のセブンが500店舗を突破した1978年に配布された記念品らしい。江東区の第一号店が1974年のオープンだから、その記録は4年間で達成されたことになる。
おもな配布先はわからないが、歌詞「〽手を結びあえば輪が出来る」の大意に鑑みれば、その対象がお客でもあれば各店舗のオーナーでもあるとも読める。無難に解釈するならお客一択だが、昨今問題視されるフランチャイズのドミナント戦略を踏まえると、歌詞から友好的な印象が消え、「友達になろう」が呪文のように聞こえてくるから物騒ではないか。セブン、セブン、セブン……とウルトラセブンの歌が流れているような街は魅力的とはいえない。最終的に店同士の潰し合いになり、“友達”は淘汰される。
作詞をしたのが松本隆で、作曲は吉田拓郎。これもひとつの拓郎節なのだろうが、抑揚に富むアレンジ(石川鷹彦)がさりげくシティポップ調を編むなど、非売品であるのが惜しい。
伊藤咲子は『スター誕生!』出身で、「友達になろう」の4年まえに発表した「木枯しの二人」(1974年)が初のオリコン入りを果たし、自身最大のヒットとなった。このときのコンビ、阿久悠×三木たかしがしばらく作詞・曲を担当するが、1977年の「何が私に起こったか」以降はアイドルを卒業しオトナ路線にシフトしている。
つまり「友達になろう」ではアイドル路線に逆戻りしたことになるのか。ただのノベルティだからといえばそれまでだが、「〽暗い街にも灯をつけた店がある」という一節は、すぐにでも清書し額におさめ社訓として社長室にでも飾るべきではないか。小売業の原点に立ち返らないかぎり、お客にもオーナーにも株主にも社員にも愛されるセブンにはならない。みんながつぎにいいたいのはこのセリフなのだから——「やっててよかった!」。
伊藤咲子
「いい娘に逢ったらドキッ」
(Toshiba)1976年のシングル。本文では触れなかったが、阿久悠の“副業”ともいえるキワモノ。低声で知られる神太郎の合いの手(表題)は、同年にヒットしたHOT BLOOD(独)の「ソウル・ドラキュラ」の“奇怪ディスコ”を踏襲するよう。アイドル時代の中期作だが、いまの感覚ではアイドルらしくない高い歌唱力が瑞々しい。そのミスマッチこそ昭和歌謡の妙味である。セブン社歌「友達になろう」はCMに流れず、店内BGMに使われたのだろうか。
プロフィール
わかすぎ みのる:足利出身の文筆家。 CD、DVD企画も手がける。 RADIO-i (愛知国際放送)、 Shibuya-FMなどラジオのパーソナリティも担当していた。 著書に『渋谷系』『東京レコ屋ヒストリー』 『裏ブルーノート』 『裏口音学』 『ダンスの時代』 『Jダンス』など。ご意見メールはwakasugiminoru@hotmail.com