裏口対談 若杉実 × 売野雅勇
「音楽の向こうに故郷が見える」
司会 このほど発売された『裏口音学』は、著者の若杉実さんが『渡良瀬通信』に2012年から連載していた同名のコラム45回分をまとめたものです。今日は若杉さんと、この『裏口音学』の帯に名コピーを添えていただいた作詞家の売野雅勇さんをお招きし、お二人のトークを楽しんでいただきたいと思います。
裏口音学の理由
若杉 ぼくは栃木県の足利というところの出身なんですが、売野さんも同郷なんですね。しかも同じ町内で、お互いの家まで徒歩2〜3分という至近距離なんです。
売野 足利の街なかの1丁目、2丁目には足利学校(日本遺産)や鑁阿寺(国宝)があって、さらに3丁目あたりまでがまちの中心として栄えていた。そこから4、5、6丁目となるにつれ落ち着いた感じになってくる。その5丁目に若杉さんと私の実家があるんでね。
若杉 中学も売野さんと同じ第一中学校ですが、お昼の時に放送委員が好きな曲を掛けていたんです。そこでチェッカーズの「涙のリクエスト」が流れて、フルコーラス聴いたのはそのときが初めて。正直、このころアイドルは好きじゃなかったんですが(苦笑)、売野さんが作詞したとは思っていなかった。知っていればもっと楽しめたんだろうなと思っています。
売野 この『裏口音学』読んでびっくりしたのは、この中で取り上げている曲(ジャンル)が凄く幅が広いこと。ポップスからアイドル系、歌謡曲からジャズ、ブラジルのレコードまで紹介してますね。
若杉 ブラジルには二度行ってるんですが、CDも現地で作ったんですよ。ボサノバで有名なホベルト・メネスカルさんのスタジオで、ジョイスとかマルコス・ヴァーリとか名だたるミュージシャンが参加してくれている。
そもそもぼくがこの業界に入ったのは、ブラジル音楽のある企画をやったのがきっかけでしたから。タンゴもそうですし、フォルクローレも好きなんですよ。たとえば『裏口音学』でも紹介している中森明菜の『ミ・アモーレ』。このメロディはパラグアイのある有名なフォルクローレを参考にしているというか、そっくりだったりする。作曲した松岡直也さん(2014年逝去)に真相を聞いてみたかったんですけどね。
売野 ところで、どうして『裏口』なの?
若杉 『渡良瀬通信』は足利(両毛)の地域情報誌なんですけど、いろんな世代の人が読んでいるでしょ。だから一般的な音楽雑誌みたいに「新譜が出ました。こんな感じです」とやってもそれでは面白くない。自分は決まったジャンルに軸足を置いているわけでもないですし…。そこでジャンルに縛られずに裏側から音楽を見ることによって面白く聴ける、書けるかなと。今自分の興味はどんな音楽を聞いているかよりも、どう聴くか、どう書くかなんです。
出会いはインタビューから
司会 お二人の最初の出会いは?
売野 ぼくが朝日新聞出版から『砂の果実』という本を出したとき、若杉さんにインタビューしていただいたんです。そのインタビューの最後に「実は同郷なんです」と言うんですね。しかも同じ「通り5丁目」だと。「そういうこと最初に言えよ」ですよね。(笑)その後帰省したときに、ぼくは確かめにいきました。ホントに近いんだよね。
若杉 インタビュアーとしての礼儀ですよ。最初に伝えてしまうとバイアスが掛かってしまう。編集者にも同郷であることは明かさないでほしいとお願いしてますから。ただ、取材が不発に終わったら(売野さんに)こっちの身分も明かさないつもりでした(苦笑)。
ところで、はじめに足利のことを話しましたが、ぼくはずーっと「売野さんは足利のことをかくしているんじゃないか」と思っていたんですよ。というか、そういう噂があった。
売野 そんなことないよ。もし、そんなことを言っている人がいたらそれはうそですよ。
若杉 ぼくもというか、以前は出身地を聞かれたくないという姿勢でした。今は「好き」だからこそ、そうではないところも見えてくる。
売野 ぼくは反省するところがあります。実は2年前に母親を亡くして、これで両親がいなくなったわけです。すると足利がすごく恋しくなってきたんですね。それでね、そんな気持ちを込めた曲を書いたんです。『天涯』と書いて—そらのはて—と読ませるんですが、「〜もう誰もいなくなってしまったけど、あの人もこの人もいるし〜父母がいる故郷」という内容です。ビー・クワイアというゴスペルグループが歌っていますが、みなさんに聴いてほしいいい歌です。
『め組のひと』は足利つながり
若杉 売野さんはコピーライターからスタートしていますのでお聞きしたいんですが、あとあと残るコピーというのは夏のものが多い気がするのですが、何か理由があるのでしょうか?
売野 夏というと気持ちが躁状態、ハイになりますよね。だからここぞとばかりにこの時期をねらって夏のキャンペーン(商戦)も派手になるからでしょうね。
夏と言えば、荻野目洋子の『六本木純情派』というのがあって大ヒットしたんですが、その次に同じ路線で『湾岸太陽族』という曲を出したんです。『派』の次は『族』だということですね。それが5月発売の夏の歌です。が、予想に反して思ったほどは売れなかった。そうしたら社長が「あれは売野くんのせいではない。夏が寒かったからだよ」と言ってましたね。その年は、なかなか夏の暑さが始まらなかったのです。
夏のキャンペーンソングと言えば、資生堂の『め組のひと』というのがありました。実はこれでとても驚いたことがありました。
若杉 それはぼくのこの『裏口音学』の中でも書いているんですが、『め組のひと』というコピーは、これも足利出身の小野田隆雄さんによるものなんですね。同じくコピーライター出身の売野さんは、タイトルを先に決めてから作詞をするのがスタイルだそうですが、でも、この曲に限っては違った。
売野 皆さんがいいように誤解してくださっているんですが、『め組のひと』はぼくのタイトルではありません。もちろん小野田さんのお名前は知っていましたが、若杉さんから「足利の方です」と聞かされて初めて知ったんです。コピーライターとしては超一級の方です。ぼくなんかコピーライターとしては才能がなくて、小野田さんは雲の上の存在でしたからね。
若杉 『め組のひと』の時に打ち合わせなどでお会いしていなかったんですか?
売野 お会いしていませんね。この曲はラッツ&スターの第1弾で、作曲は井上大輔さんです。この年に大瀧さんのプロデュースでラッツ&スターの『ソウル・ヴァケイション』というアルバムが出るんですが、これには『め組のひと』を入れなかった。そのことを後に大瀧さんは、「入れるべきだったな」と鈴木雅之さんに語っていたということです。
三橋美智也から矢沢永吉へ
若杉 売野さんは子どものころはどんな音楽を聴いていたんですか?
売野 小学生のころまでは三橋美智也とか村田英雄でしたね。そのころの足利はまだまだ織物が盛んで、小さな織物工場いわゆる機屋さんとかがいっぱいあったんですよ。そういうところはいつも大きな音でラジオを掛けていて、いやおうなしにそういう歌謡曲が聞こえていました。その後はパラダイスキング、九重佑三子、坂本九とかで、12歳くらいからは邦楽は聴かないようになりました。
若杉 学生時代は何になるつもりでした?
売野 ぼくは音楽ディレクターになりたかったんです。大学を卒業するころ、ニッポン放送で亀淵昭信さんのプランで、音楽専門ディレクターというのを募集したんです。採用は専門職一人で、音符と歌詞だけが書かれている100曲すべての曲名を答える、という問題でした。2次試験、3次試験とあるんですが、ぼくは全て知っていて自信があったのです。「これは楽勝かな」と最後の社長における面接試験にいったのですが、結果は見事落選でした。
若杉 中学生くらいからは洋楽漬けだったそうですが、そんな中、感銘を受けた曲があったそうですね。
売野 矢沢永吉の『時間よ止まれ』。初めて買った日本のレコードで、聞きまくりましたね。もう大好き、コレ。
若杉 何がそれほど衝撃的だったんですか?
売野 この曲は詞が山川啓介さんなんですが「〜罪なやつさ Ah PACIFIC」という歌い出しの部分ね。「そういう言い方ってあるの?」って思ったんです。ほかにも黄金のフレーズが散りばめられているんです。この曲のレコーディングにはドラムスが高橋幸宏、キーボードが坂本龍一だった。やっぱりセンスがいいですね。YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)がデビューする寸前でしたから、やってることがほかのミュージシャンとは違ってましたね。そのころは高橋幸宏のカッコよさに惹かれていましたね。
とにかく作詞家になる前に買った懐かしい曲ですね。
司会 お二人の話は尽きませんが、そろそろお時間です。今日はお忙しい中ありがとうございました。
Profile
売野雅勇(うりの・まさお)
中森明菜の「少女A」を筆頭にチェッカーズ、近藤真彦、河合奈保子、シブがき隊、郷ひろみ、ラッツ&スターetc.、80年代歌謡曲黄金時代を支える。90年代以降は坂本龍一、矢沢永吉、SMAP、森 進一など多岐にわたって詩を提供。同時に映画、演劇まで活動の場を広げている。2016年には東京・中野サンプラザホールにて作詞活動35周年記念コンサートが開かれ、関わりのあった多くのミュージシャンが参加した。同年、自伝『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々』を発表。足利市出身。
若杉実(わかすぎ・みのる)
音楽ジャーナリスト。雑誌、書籍への寄稿をはじめCDのライナーノーツなどを執筆。CD、DVD企画も手がけ、これまでに200タイトル以上を送り出す。RADIO-i(愛知国際放送)やShibuya-FMなどラジオ番組のパーソナリティも担当していた。著書に『渋谷系』『東京レコ屋ヒストリー』『裏ブルーノート』など。『渡良瀬通信』には2011年1月号から2014年3月号まで『東京Twit&Shout!』、2014年4月号からは『裏口音学』を連載中。足利市出身。