イトーヨーカドーをディスコが救う!?
デパートが好きだった。デパートという響きには陶酔感があった。Z世代は共感しないだろうが、デパートは現在のオリエンタルランドに匹敵する娯楽施設だったというのが昭和人のコンセンサスである。
なにしろ実家からいちばん近い十字屋(前身さくら屋/跡地・現フレッセイ)の屋上には観覧車があったのだから。物心がつくころには撤去されていたため遊んだ記憶はないが、商業施設の屋上に行くといまだに胸がざわつく。
そんなデパ好きにとって、“背水のイトーヨーカ堂”(大量閉店)と書かれた最近のニュースをみるたびに胸が痛い。
市内にあるヨークベニマルは系列店で、母体ともいえるイトーヨーカドー(跡地・現アクロスプラザ)ができたのは1980年。当時横綱だったキンカ堂以来ひさびさの新規デパートに胸が弾むも、二階建ての屋上施設なし。ありえない店舗構造に落胆したが(倍以上の売場面積を申請するも却下されたらしい)、5年後にやってくる黒船ことアピタができるまで、河南地区初の大型店として活気を呈した。
そのアピタは現業界のスタンダードであるショッピングモールの走りだった。おりしもデーパートという響きからかつての輝きが消える。ヨーカドーが衰退した原因について、アナリストが指摘するのもそうした営業形態の刷新の出遅れがおおきいという。名前を見直すべきとの意見もあった。そんな単純だろうかと半畳を打ちたくなるが、あながち否定できない。
音楽を例に、店名をジャンル名に置き換え考えればいい。専門誌は文字をテキトーに並べて、このブームに乗らなければ後悔するぞと読者を煽動する。菊池桃子(社名)は変えられないが、アイドルあらためシティポップ(店名)にしておけばいいのだからチョロいものだ、と。
ヨーカドーのような企業が名前の重要性に気づかないはずがない。70年代末にレコードを制作していたことは知る人ぞ知る話だが、ディスコブームに便乗した際、米映画『Saturday Night Fever』の文字を表紙(写真)に踊らせながら英国旗まで貼りつけ過剰に演出していた。この意味を理解するには多少の知識が必要だが、ようするに気づけば飽和状態だったディスコとの折りあいをつけるべく、おりからの第二次ブリティッシュ・インヴェイジョンとの抱きあわせ商法である。精肉売場に焼き肉のタレを置く。そのような業界の定石の応用も読め、レーベルのA&Rが本社からの抜擢人事であることも推し量れる。
だがこの推理は、ちいさな文字で書かれたアートディレクター“HAJIME TACHIBANA”によって覆される。当時の所属バンドPLASTICSではギターを担当していた立花ハジメそのひとだが、ソロデビューも控えていたことからも、署名をむしろちいさくした事情はわからなくもない。本業から副業になったとはいえ、“ヨーカドーとディスコの関係を成立させる装丁”という課題は手に余るものだっただろう。それを逆手にデペイズマン的にコラージュさせ強行着地したが、立花らしいセンスはすっかり後退した。
ただし本社側に目を転じればちがう。窮地のいまだからこそそんな荒療治も経営学の踏み石にみえるのではないか。これで復活できるなら世話がないという話でもあるが。
LONDON STUDIO ARTIST SINGS
『ABBA Vol.1』
(London Avenue)
同シリーズより、覆面バンドによるABBAのカバー集(1978年)。国内製作らしく、よくある海外ライセンスではない模様。ただし演奏は俗調のインスト。英国旗はレーベル名にも由来するが、本表紙ではそこにウッドストック風を敷きABBAも取りこむ、抱きあわせならぬ抱きかかえ商略。カラオケ、スタンダード集もあったが、どれもヨーカドーの売り場ではみたことがない。その足利店の思いでといえば『街かどテレビ11:00』の生中継である。